2006年.12.15   北アフリカ チュジニア共和国 チュニス
 
 主催: 北之台雅楽会 後援: 在チュニジア日本大使館
 於: EL TEATRO    入場者数: 約200名
 プログラム: 第一部 楽器紹介、舞楽「陵王」 第二部 管絃「音取/越殿楽/陪臚」、舞楽「浦安の舞」

チュニジア共和国はアフリカ大陸の最北端、地中海に面した人口1017万人の国です。面積は日本の約5分の2、イタリアのシチリア島とはわずか150kmの距離にあり、紀元前9世紀に建国されたフェニキア人の海洋国家「カルタゴ」がローマ帝国に滅ぼされた後も、地中海貿易の要衝として栄えた歴史ある土地柄です。
7世紀にアラブが侵攻し、現在も人口の98%がアラブ人でイスラム教スンニ派が信仰されています。19世紀にはフランスの保護領となりましたが、1956年に独立を果たしました。安定した長期政権下で治安もよく、観光と農業、工業の国として発展しています。
今回は在チュニジア日本国大使館の後援を得て、首都チュニスにて初のアフリカ公演を行いました。

2006 チュニジア公演


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来場者の声:

「静寂と平和を強く感じました」「瞑想的で、スピリチュアルで、リラックスする音楽でした」
「芸術性、忍耐強さ、高い経験と正確さがすばらしい」「深い、美しい音楽でした」「とても静かな、心休まる音楽です」
「メロディー溢れる、メランコリーな音楽でした。楽人たちは神のようでした。神の強い息吹を感じました」
「私にとって興味ある発見でした」「我々にはまったく新たな音楽です」
「高い質の楽器と、新たな音響を感じました」「色彩、音楽、舞の美しい調和でした」
「日本人の崇高さと壮大さを感じさせる音楽でした」
「楽人の威厳とすべての楽器がかもし出すハーモニーに圧倒されました」
「日本にはもっといいものがある。ここでも見たいです」
「ゆっくりとした柔らかな動作ですばらしく、エレガントな舞だった」
「衣装がすばらしかった。玉虫色に光る色彩と優雅で神秘的な舞だった」
「非常に意味深く、神聖な舞でした」「舞の一つ一つの動作の意味をよく理解できませんでしたが、ゆっくりとした動きは瞑想へと誘ってくれました」
「調和ある、エレガントな動きをもった印象深い舞でした。単純さの中に意味を込めた舞でした」
「神前の舞だろうと解釈しました。客席が神殿の感じがしました」

「別の曲をぜひ聴いてみたい」「日本に旅し、音楽を発見できた、すばらしいコンサートでした」
「皆さんの集中力にブラボー!ただ、まだ我々にはこの種の音楽は馴染みがありません」
「我々には異質の芸術、様式と音楽を発見させていただいた主催者のイニシャティブに対して感謝します。音楽家の方々の真剣さを強く感じました」
「チュニジアで頻繁に繰り返して公演してほしい」「毎年一回は公演をしてほしい」
「すがすがしくも、驚きのある、類まれなソワレでした。神の芸術でした。もっともっと学んでいければすばらしいと思います」 「休憩時のつまみにはチュニジアのものではなく、日本の食材もいれてほしい」「日本の別の芸術、文化に触れてみたい」

12月17日付
 現地新聞 「ル・コーティディアン
(Le Quotidien)」

    雅楽/   日本、太鼓を打ち鳴らして!

日本・チュニジア国交樹立50周年を記念し、北之台雅楽会が去る金曜日、当地で演奏を披露した。我が文化とは少々違う、彼ら独特の精神性をいろいろ検索してみよう。
本文:
 この種の文化イベントの目的は崇高なものだ。何故なら常に裏には一つの政策がある。つまり、半世紀にわたる両国の友好関係を維持しようとする政策である。まさに50年の実りに他ならない。
 事実、一昨日晩に EL TEATRO で行われた在チュニジア日本大使館後援の雅楽公演によって、日の昇る国 日本の色鮮やかな多くの芸術イベントによって飾られた2006年が幕を閉じた。昨夏のカルタゴ・フェスティバルのオープンを飾った Dar Ben Abdallah で行われた能を思い出す。能は極東の一方の幕を開けた。その間にも、日本はチュニジアにおいて存在感を現し続けた。一つの通りを日本が満たしたこともあるし、教育、経済あるいは現在建設中のラデスの橋のような大型建築といった他の社会基盤においても日本はその存在感を示してきている。
 雅楽はこうした中、大衆を集め、来館者は興味津々だった。何故なら、日本の音楽は、まだ我々には馴染みの無いものである。休憩時間にちょっと聞いた話しがそれを証明する。何人かは表現しづらいように、こう言った。「好きにならないとね。」別の人たちは、「これは一つのジャンルだ」と言った。「世界の音楽に精通している私たちにも、まだ異国風の音楽はあるよ」と言ったのは、チュニス高等音楽院の学生たちだった。彼らは音楽に関しては物知りだし、日本の芸術や文明について語った。
 さて、北之台雅楽会のプログラムは、音楽と舞踊で構成されていた。金色の着物で飾られた全員で10名のアーティストがあぐらで座っていた。光は柔らかで、緑の芝色の床と舞台の縁に備え付けられたオレンジ色の欄干は、地理的にも文化的のも遠いこの国へと誘った。スペクタクルのほぼ三分の一の時間は雅楽の説明に当てられた。雅楽は1世紀に作られ、中国や韓国、その他の国の影響を受けた「最も古い音楽形態」とのことである。
 それから、楽器紹介が始まった。変わった名前の楽器だ。吹奏楽器に「笙」という口オルガンがあり、空を象徴する。「篳篥」は大地を象徴する。フルートである「龍笛」は空間を象徴する。これら三要素によって宇宙が形成される。
 次に、弦楽器が紹介された。ルートを思い出させるような「琵琶」、Nipponのハープである「琴」。
 そして、打楽器である。「鞨鼓」「太鼓」「鉦鼓」である。それぞれのデモンストレーションが行われたが、我々の国のようなリズム感はなかった。むしろ、私には韻律と軋(きし)みに聞こえた。
 本当のスペクタクルが「陵王」で始まった。中国の皇帝の国に屈服する話しである。舞人は我々の言うダンサーではなく、重たい足の運びで大きく描く感じである。色鮮やかで、顔は良く分からない猛獣の仮面で隠されている。多分、悪夢で出会うようなもの。
 休憩のあと、観衆は「音取、越殿楽、陪臚」を聴いた。思想的、精神的な用語もあって、学術的な満足感を伴うものだった。単純さと美と気高さというものは、常に相対的なものである。我々には音楽がちょっと、あるいはとても、静かだったかもしれない。テーマは常に平和、勝利、そして祭典であった。
 最初、紹介から始まったので、最後は同じように神楽舞の「浦安の舞」による挨拶で幕を閉じた。
 結論として、この公演のもっとも大事な点は、芸術的かつ文化的対話にあった。それぞれがお互いを発見する時期に来ている。単に発見するだけではなく、知ること、なれること、そして多分、愛することを学ぶであろう。したがって、それがよりよく対話することに繋がるのではなかろうか。

Zohra ABID 記
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